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花街・元林院の復興 夜のにぎわいふたたび

2014年04月04日

主筆 藤山純一

 4月に入って暖かくなり一挙に桜が咲き出した。奈良市内の佐保川沿いや郡山城ではもう満開。今週末がピークとなりそうだ。「桜の花の命は短し」というが、青空をバックに咲き誇る淡いピンク色の花びらは見ているだけで幸せな気分になる。
 その桜の花に負けないほどの華やかさがあったといわれるのが奈良町の元林院。今も猿沢池南西の細い路地を入ると古都・奈良の歴史的な情緒が感じられる町並みが広がる。
 元林院は南北朝から室町時代にかけての興福寺の別院。その名が町名に残り、江戸時代には興福寺の絵所座に所属する絵師たちが多く住むようになり、絵屋町と呼ばれるようになった。その面影は今も猿沢池そばの率川に「絵屋橋」があることからしのばれるが、まさに犒歃儔鉢瓩猟だったのだ。
 明治に入り「芸妓本位」の花街として栄え、歌舞音曲などの諸芸に通じ宴席を多いに盛り上げた。特に大正時代から昭和初期にかけて200人を超える芸妓、舞子が在籍、京都の祇園や大阪の花街にも負けないにぎわいを見せていたという。
 京都や大阪との人口規模を比較すると、当時の華やかさは今では想像できないほどのものだったのではないだろうか。東大寺や春日大社、奈良公園などでの行事にも芸妓がたびたび登場、南市の初戎の宝恵駕籠(かご)や奈良公園の盆踊りなどにも繰り出し、奈良に活気と元気を与えてくれていたといわれる。
 画家、絹谷幸二さんの生家で元林院の象徴といわれた料理旅館「明秀館」は、今もその佇(たたず)まいは当時の面影を残している。絹谷さん自身のアトリエとして使われており、以前、お邪魔した時は多くの作品が置かれていた。
 その一角の芸妓置き屋だった「萬玉楼(まんぎょくろう)」は、古い町家の趣を残したダイニングバーとなっている。平成2年に改装した際、寛保2(1742)年の棟札が見つかり、江戸時代の町家が多く残る奈良町の中でも、最も古い町家の一つであったことが分かった。
 しかし、華やかだった元林院は、時代の移り変わりで今では置き屋が1軒、芸妓4人。古都奈良の夜のにぎわいは、すっかり鳴りを静めてしまった。
 これに対して、15歳から元林院で舞子、芸妓を続けている菊乃さんを中心とする若手グループが「元林院花街復興プロジェクト」を立ち上げ、このほど11歳のちびっ子舞子が誕生した。 菊乃さんによると、全国から舞子希望者を募集しミスコン形式で選考したり、舞子をモデルに漫画を制作するなど広く舞子の存在をアピールする計画。
 一方、奈良市では今年度から元林院復興事業に乗り出した。夜の奈良観光のあり方などについて、絹谷さんや帝塚山大講師の勝部月子さんら有識者に集まってもらい意見を聞くほか、元林院の伝統芸能を体験・鑑賞する「元林院まちなかイベント」を「なら国際映画祭」に合わせて開催する予定だ。
 また、帝塚山大に舞子養成科を設ける動きもあり、官民学挙げての「花街復興」に大いに期待したい。
 

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